Hello cosmos,Goodbye chaos.

アニメーションが好きな摂食障害経験者(女性)による日々の雑感

今週のお題「手づくり」

今週のお題「手づくり」

 

手づくりは魔法だ。

 

何かを作って生み出すという才能を授ける神様がいるとするならば、私はその神様からかなり嫌われているらしい。
手づくりに必要なセンスと器用さが、私には欠片もないのだ。

 

料理、裁縫、美術、図工・・・。どれも、出来上がったものは目も当てられない代物になってしまう。

包丁で食材を刻めば、原形は跡形もなく消える。
ミシンを踏めば、上糸と下糸が絡まってそこから先に進めない。
自画像を描けば、蛇女が現れる。
放課後、長い時間を掛けて木工のボックスにニスを塗っていたつもりが、実はニスの薄め液だった。

手づくりは嫌いだ。悲しくなるだけだから。

 

だからこそ、他者が行う手づくりは魔法のように見えて、感動を覚える。
何もないところから、たちどころに、唯一無二のこの世に一つだけの完成された世界が作り出されていく。
そのスマートで流麗な仕草は、まるで魔法使いが杖を一振りするよう。

 

神様が才能を授けてくれないのならば、自分で手づくりのコツをつかみ取るしかない。
魔法使いの見習いとして、日々修行は続く。

日記の効用

単身生活を続けていると、自分の思いを吐露する機会が激減して心身に良くない。
気の置けない友人と楽しく話をすることに憧れるが、憧れているだけで、その状況を改善する対策を打てずに数年が経過していた。

 

そのような中、昨年は自分の生活環境が大きく変わった年だったこともあり、自分の気持ちをありのままに述べる手段を得ようと一念発起した。その結果、新しく始めたことが日記(雑記)だ。
これまでも日記を書いたことはあるが、今回こそは息長く続けていくためにマイルールを決めた。

 

【マイルール】
1.目的に応じて、複数の手段を使い分ける。  

日々の所感を綴る場として、昨年から①手書きのノートと②SNSを始め、今年から③ブログを始めた。
日々の所感と一括りにいっても、誰にも言えない激情や誰かにも届けたい思い等、時と場合によって向いている方向は様々だ。そのため、その時々に沿った方向に思いを解き放つことができるよう、複数の手段を用意することにした。

①手書きのノート
⇒剥き出しの感情を記す場所。人には言いにくい汚い感情は、そっとこの場に置いていく。

SNS
⇒主に、今すぐに伝えたい気持ちや、誰かにも共感してほしい事柄を記す場所。SNSに投稿することで、誰かと他愛のない話をしている感覚に陥るから不思議。

③ブログ
⇒自分と丁寧に向き合って思いを記す場所。ブログはまとまった文章で書くため、自分との対話を通じて自身の思いを改めて確かめている。

 

2.手書きのノートによる日記は、何が何でも毎日書く。
SNSやブログは人の目に触れるため、体力や気力がない時は公開に堪える文章を練って投稿することは難しい。そのため、手書きのノートによる日記だけは毎日続けていくことにした。
誤字・脱字、おかしな言葉遣いでもOK。「眠い」「疲れた」の一言だけでもOK。
手書きのノートは誰に見せるものでもない。とにかく続けることが大事。

このようなルールの下で始めた日記生活が功を奏している。
自分の感情を形にするだけで、こんなにも清々しい感覚を得ることができるのか。また、自分はこんな風に考えていたのだなと新しい発見にも繋がっている。
SNSでのいいねの反応や、ブログ記事が紹介される等、他の方に私の感情が届くことの喜びにも接することができた。


人間は感情の生き物。このどうしようもない感情を日記という手段で上手く飼いならして、少しでも豊かな人生を送ることができますように。

御礼(その2)

先週に続き、週刊はてなブログのOdaiのコーナーにて私の記事をピックアップいただいた。
自分の思いが誰かの心に届くということが、こんなに嬉しいことなのだと改めて実感した。

 

週刊はてなブログのスタッフの皆さま、今回も本当にありがとうございました。

 

neopiiko.hateblo.jp

今週のお題「かける」

今週のお題「かける」

 

私と「かける」の組み合わせを考えた結果、出てきた答えは「欠ける」だ。
大事な物を落として欠けてしまったという物理的な話ではない。
私自身の社会性の欠落の問題だ。

 

年を重ねるごとに、人の社会で生きていくことが向いていないと実感を伴って感じることが多くなった。
学生時代も周囲とのズレや友人の少なさ等からもやもやした思いを感じていたが、それでも何とか食らいついて生きていた。ドロップアウトするという発想や選択肢は微塵もなく、学校に毎日通うことに何の疑問も持たなかった。
このような姿勢は、社会人になってからも最初の数年間は変わらなかったが、蓄積されてきた小さな不満・不安・違和感が暴発して摂食障害を発症してからは、摂食障害の治療がとっくの昔に終了している現在に至るまで、人の社会で生きていくために必要な忍耐や要領の良さや人間関係等々を得る努力を諦め、根無し草状態になってしまっている。
何とか食らいついていこうとしていた気概や道を外れることの恥ずかしさも捨ててしまって、自分が楽な方に流されていっている。

 

私が人に戻れる日はもう来ないと思っている。
では、今、これを書いている私は何者か。

 

子供の頃は、人の社会で人として生きていくことがこんなに難しいことだとは思ってもみなかった。
みんなもやっていることだから、私も何も考えずに普通にできるものだと思っていた。

 

人の社会で人ではない状態で生きていくことは苦しい。
だからといって、消えてしまうこともできていない。
この年になって、社会性を一から取り戻して、また明るい場所に行くことはできるだろうか。

御礼

週間はてなブログのOdaiのコーナーにて、私の記事(リンク先ご参照)がピックアップされた。
初めて投稿した記事がまさかこのようなことになるとは・・・
大変名誉なことだ。

数ある記事の中から選ばれてとても嬉しい。
週間はてなブログスタッフの皆さま、ありがとうございます。

摂食障害について(その1)

はじめに

今年の夏で、摂食障害(拒食)の治療を終了してから丸10年が経つことになる。
まだこの障害の後遺症のようなものが続いているような気がするのだが、一応一つの区切りの年でもあると思われるので、摂食障害にまつわる諸々のことを不定期に書いていきたいと思う。
ただし、医学的な知識が全くない素人が書くただの思い出・所感なので、その点は予めご了承いただきたい。

 

略歴

摂食障害に関連する簡単な歴史は以下のとおり。

 

【学生時代】
いじめを受けたり、あからさまな仲間外れを受けたりしたことはないが、今振り返るとさびしい学生生活だった。このような学生生活を送り、少しずつ心が傷ついていくことで、摂食障害を発症しやすい素地ができあがったのではないかと考えている。
あとは、祖母と同居していたことも影響しているかもしれない。(祖母との同居は、就学前から30代目前まで続いた。)

 

【~2009年頃】
社会人になって年月を経るごとに、周囲の人間と自分を知らず知らずのうちに比較して、段々と自信を失っていった時期。

 

【2010年】
おそらく食べることを制限し出した時期。
久しぶりに会った弟に、「最近ダイエットを始めたんだ」と少し誇らしげに話をした記憶が残っている。

 

【2011年】
震災対応のために数週間出張していた時には、頭の中が食べる・食べないのことでいっぱいだった。
出張から帰ってきて出社できないようになり、長期の休みに入ることになった時期。
摂食障害関連で初めて医療機関を受診し、入院もした。

 

【2012年】
入院治療を経て仕事に復帰し、毎日会社に通いつつ、食の制限に精を出していた時期。
入院治療で体重を戻したにも関わらず、一年かけて体重を減らしていった。

 

【2013年】
最低体重(26kg)を記録した時期。
再度入院することになった。
この年で、摂食障害に直接関連する治療は終了。

 

【2014年】
摂食障害関連で特に記憶に残る出来事はなし。

 

【2015~2018年】
心の沈み込みが激しく、心療内科に行ったり、カウンセリングに行ったり、脳に電磁波らしきものを当てたり、色々行った時期。
摂食障害になるような心の持ち主だからこういうことになるのだろうか、等と考えていた。

 

【2019年~】
医療機関やそれに準じた所には行かなくなったが、苦しさが常に付きまとってどうにも動けない状態が続いている。

 

本日の最後に

その1はこれにて終了。
次回からは、もう少し踏み込んだ話を書いていく予定。

今週のお題「マメ」

今週のお題「マメ」

 

本編

この時期にマメといえば、思い出すのはやはり節分だ。
母はやれる範囲で季節の行事に取り組んでいたため、節分の豆まきも毎年欠かさず行っていた。

 

私は、この豆まきがとても嫌だった。
福は内するのはいいが、私の部屋に豆を撒かんでくれ、と毎回心の中で叫んでいた。
福は内どころか、機嫌の悪さで、私が鬼のような形相になっていたと思う。

 

節分の豆まきに限らず、両親と同じ家で生活していた時は、あらゆる季節行事をうざったく感じていた。
初詣、お祝い的なもの(家族の誰かの誕生日、入学・卒業等)、クリスマス、桃の節句端午の節句、墓参り、柚子湯・菖蒲湯…
季節行事なのかどうかよく分からないものも含まれるが、とにかく、これらのことが嫌だったのだ。

 

ところが不思議なもので、単身の生活を送るようになると、これらの行事が恋しくなってくる。
全ての行事に取り組めているわけではないが、鏡餅を飾ったり、初詣や墓参りに行ったり、ケーキを買って自分の誕生日を祝ったり、無理なくできる範囲のことを行っている。

 

自分の態度が180度変わった理由について考えた結果は以下のとおり。

  • 行事自体が嫌なのではなく、家族で何かを行う時に、強制的に参加させられることが嫌だった。(自分が好きな時に好きにやらせてほしい。つまり、ただのわがまま。)
  • 単身になると色々とさびしくなるため、行事に参加することで、さびしさを紛らわせたり、私も社会の一員であるという正体不明な安心感を得ることができる。

 

家族で何かを行う時、どこかに行く時、いつも不機嫌そうなつまらなそうな顔をしていたと思う。
今もその癖のようなものが完全になくなったわけではないが、家族が揃う時にはなるべく笑顔でみんなに接したい。

 

おまけ

マメに取り組みたいことは、寝る前にパソコンの電源を落とすこと。
どうせ翌朝も使うからと、電源を落とさずに寝てしまうことがかなりある。
人間と同じで、パソコンにもきちんとした休息が必要だ。そうしないと、壊れてしまうだろうから。